smileUP

ふるさととっとり

ふるさと鳥取の四季 大山の懐に抱かれて

日本海を望み、中国地方最高峰・大山の裾野にある
エミネットの故郷の四季折々の表情をご紹介します。

番外編

大山だいせんとともに

2021.1.13

初冬の大山南壁

エミネットのある鳥取県米子市は、中国地方の最高峰・大山(だいせん)の麓、
日本海を望み、白砂青松といわれる美しい弓ヶ浜半島にある山と海に囲まれた自然豊かな街です。

改めて知る故郷の歴史と文化

エミネットの本社がある鳥取県米子(よなご)市では、街のどこからでも中国地方の最高峰「大山」を仰ぎ眺めることができます。
大山は古来より大いなる神坐(いま)す山として人々に崇敬(すうけい)されてきた存在でした。
そして今、この大山の麓(ふもと)で、豊かな自然の恵みを受けて穏やかに過ごす毎日を「大山さんのおかげ」と感謝しながら暮らしています。
2018年に迎えた大山開山1300年を越え、改めてこの地ならではの歴史と文化を皆様にご紹介いたします。

1300年の時を巡る大山の栄華えいが衰亡すいぼう

大山は、奈良時代に編纂(へんさん)された「出雲国風土記」に火神岳(ひのかみだけ)あるいは大神岳(おおかみのたけ)と記される古くからの信仰の山であり、山岳信仰に帰依(きえ)する修験道の修行の場・霊験場として栄えていました。
その大山の北面の中腹に、「大山寺(だいせんじ)」があります。
大山の開山は養老2年(718)のこととされ、万物を救う地蔵菩薩を大智明権現(だいちみょうごんげん)として祀(まつ)ったと伝えられています。

大山の地蔵信仰は、平安時代末頃には隆盛(りゅうせい)となり、その名声は京にも知られることとなりました。
大山寺は、中門院(ちゅうもんいん)・南光院(なんこういん)・西明院(さいみょういん)の三院で構成される寺院集団であり、鎌倉から室町にかけて、大山寺には百六十におよぶ社寺が建ち並び、一時は大山僧兵(そうへい)三千人と称されるほどの勢力を誇ったとされます。

戦国乱世の世にあっても大山寺はその勢力を保ち、江戸時代には三千石(ごく)の寺領を得て、寺領政治を展開。
中国地方屈指の大寺として発展していきます。
そして安泰の世になって民間信仰が普及すると、牛馬の守護神や祖霊神と結びつき、広く民衆の信仰を集めました。
西日本各地から大山寺へと続く参詣道(さんけいみち)〝大山道(だいせんどう)〟を通って、参詣者が牛馬とともに大山へと集まり、大いに繁栄しました。
享保11年(1726)に大山寺境内下の博労座(ばくろうざ)で始まった大山牛馬市が、江戸時代後期には日本三大と称されるまでに成長。
この「地蔵信仰が育んだ日本最大の大山牛馬市」は平成28年に日本遺産として認定されました。

大山寺は、その後、明治維新で寺領を失い、明治8年(1875)に寺号も廃絶。
開山以来1200年近く栄華を誇った大山寺は急速に衰亡することとなります。
寺号復活が認められたのは明治36年(1903)のこと。
そして開山1300年を越え、大山は新たな歴史を刻もうとしています。

大山が育む豊かな恵み

中国地方最高峰を誇る大山は、信仰の聖地として長きにわたって入山が制限され、山自体がご神体として大切に守られてきました。
そのお陰もあって残されてきた手つかずの雄大な自然やそこに息づく貴重な動植物、そして文化的・歴史的な価値が認められ、昭和11年には全国で3番目の国立公園に指定されています。

〈春〉ブナと杉が共生する多様な姿も見られる大山の森。〈夏〉神域への入り口でもあった岩壁に囲まれる金門。〈秋〉見る方角によって全く異なる様相を見せる大山・秋の北壁。〈冬〉冬季の大神山(おおがみやま)神社は雪に閉ざされる。

大山には西日本最大級の面積を誇るブナ林が広がっています。
そのブナの森は〝緑の水瓶〟となって、雨水を地中深くへと導き、百年に及ぶ時を経て浄化し、ミネラルをたっぷり含んだ天然水を作り出しています。
大山の水は山麓すべての生命の源。
山から流れ、里を潤し、海へと下り、麓に暮らす私たちに山・里・海の豊富な幸をもたらしてくれています。
この豊かに恵まれた環境は、まさに「大山さんのおかげ」なのです。

Photo & Writing:石村隆男
大山ワンダーフォーラム・コーディネーター

この記事をシェアする

  • facebook
  • twitter
  • LINE

smileUPカテゴリ一覧